生産者情報

ヴァンサン ジラルダンVincent Girardin

近年のブルゴーニュにおけるトップ ドメーヌのひとつとして評価

醸造家エリックによる新しい体制がもたらす最高品質のワイン

ヴァンサン ジラルダン
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ヴァンサン ジラルダン

生産者情報

フランス
地域 ブルゴーニュ
歴史

1961年 ヴァンサン ジラルダン ワイン生産者一家に生まれる。

1973年 12歳から畑仕事を手伝う。

1982年 父から自分の相続分の2haを引き継いで独立。当時は、赤の比率が80%。今では一般的だが当時は誰もやっていなかった「ワインではなく、葡萄の状態で購入して自ら醸造する」ネゴシアンワインメーカーの先駆者として活動を開始する。

1990年 ムルソー レ ナルヴォーを取得。白ワイン造りに目覚める。

1990年代 様々な栽培・醸造技術をすべて試す(樽を多く使う、数多くのバトナージュ等)。ヴェロニク夫人と出会う。畑は20haに。さらに長期契約する栽培農家から葡萄の購入を始める。

1997年 自然な造りを目指し、契約農家にも同じ栽培方法をしてもらう方向に。

2001年 エリック ジェルマンが加入。自社で分析を始め、より明確で焦点の定まったワインを造ることができるようになった。

2002年 ムルソーに移転。

2004年 エリックと共に醸造スタイルの変更を模索し始める。

2007年 全く別な醸造スタイルの方向性を完成させ、著名なソムリエ、ワインショップ、ジャーナリストの支持を得る。この頃から、ワイン造りはヴァンサンではなくエリックに一任されるようになっていた。

2012年 跡継ぎと健康上の理由から、ボーヌのネゴシアンに会社を売却し、自社畑20haのほとんどを失う。ワイン造りは引き続きエリックが行うため、スタイルや品質に変更は無い。

2014年 残っていた自社畑も売り、全て買い葡萄でのワイン造りになる。契約先87ha。

2015年 自社畑を買い足す。

2018年 自社畑が18.5haとなり、元の規模に戻り、ドメーヌとしての立場を確立することが出来た。ムルソー プルミエ クリュのペリエール、ジュヌヴリエールやシャサーニュ モンラッシェのブランショ、赤のポマール、ヴォルネイ等の畑を得た。トップドメーヌを参考にして、2016VTの赤ワインから新たに珪藻土フィルターを導入。

2019年 『ベタンヌ+ドゥソーヴ 2019』で、4ッ星生産者(最高は5ッ星)に昇格。『ワイン&スピリッツ』でも2019年のトップワイナリー100に選出。

2020年 『ル ギド デ メイユール ヴァン ド フランス 2021』で、2ッ星生産者(最高は3ッ星)に昇格。

オーナー

エリック ジェルマン : 醸造責任者(写真左)。ヴァンサン ジラルダンのワインのスタイルを変更して品質を向上させ、ヴァンサン ジラルダンでおよそ20年ワイン造りを行なっている。ムルソー出身。シャブリのブノワ ドロワンと一緒に勉強した友人でもある。実家は、アンリ ジェルマン ペール エ フィス。地元の「ムルソー」を愛しており、ジラルダンを尊敬している。醸造で大切なことはコントロールすること。葡萄をうまく育て、収穫後は何もしなくてよい状態にすることが重要だと考えている。

 

マルコ カスケーラ : 輸出・販売担当(写真右)。有名なワイン&スピリッツの小売チェーンの「ニコラ」で経験を積んだ後、ニュイ サン ジョルジュのメゾン ニコラ ポテルで販売担当をしていた。エリックとともにワイナリーを牽引する人物。マルコが販売を担当するからこそ、エリックが葡萄栽培と醸造に集中できる環境づくりに貢献している。

 

ヴァンサン ゴッソ : 醸造家。エリックの右腕的存在。ヴァンサン ジラルダンで、14年間勤務している。

 

ジャン ピエール ニエ : ヴァンサン ジラルダン社のオーナー。サントネ生まれ。ブルゴーニュに、ドメーヌに特化した会社を所有。ヴァンサン ジラルダンのオーナーとなったが、ワイン造り・販売に関しては全面的にエリックとマルコを信頼している。

 

ヴァンサン ジラルダン : 2012年に引退し会社を売却した。ネゴシアンワインメーカーの先駆者として活躍し、濃厚ではちきれんばかりの果実味を備えたワインで一世を風靡した。ヴァンサンの考えとして「偉大なものを作りたければ畑仕事から」ということを重要だと考えている。ヴァンサンが引退する際、2人の息子たちはまだ若く、「会社の経営を引き継ぎたい意志はあるが、畑仕事をしたがっていなかった」ことから、非常に複雑ではあるものの自分の会社を売ることにした。

栽培

1997年から、肥料にオーガニックのコンポスト(牛など動物の糞、葡萄の皮、剪定した木の枝)を使用しています。2007年から2010年の間ビオディナミを試みました。ヴァンサンが考えるビオディナミとは、昔の人々が行っていたやり方に戻すという考えです。その後、ブルゴーニュの天候の問題で、完全なビオディナミでは不便な点もあるため、2011年よりビオディナミからインテグレイテッド ヴィティカルチャー(リュット レゾネ)へ移行しました。年間通してビオディナミの精神に基づいて、畑でより多くの仕事をしていますが、必要に迫られたら最小限の処置として極少量の農薬を使うこともあります。

<ジラルダンと稲葉のストーリー>

1992年秋、私どもの元に2本のワインが届きました。それは1991年のマランジュ クロ デ ロワイエとサントネ クロ デ タンプリエでした。その2本のワインの深く濃厚なカラーと凝縮したはちきれんばかりの果実味、しなやかで絹のようなタンニン、信じられないほどの余韻の長さなど、すべてにおいて私どもは圧倒されました。すぐに渡仏しなければという思いをおさえ、1993年春の訪問となりました。

 

生産者訪問ブログ(2017)

 

<来日セミナーレポート>

ブルゴーニュ、コート ド ボーヌの無名アペラシオンの解説まで行った、貴重なセミナーレポート。

※価格・ヴィンテージ・在庫は2017年2月時点のものです。

来日レポート(2017年2月)

 

ヴァンサン ジラルダンの商品一覧

ヴァンサンが引退し畑と会社を売却。危機を乗り越え、生まれ変わった「新生ヴァンサン ジラルダン」

2012年、設立から30年を迎えたドメーヌ ヴァンサン ジラルダンに、重大な事件が起こりました。ワイナリーを立ち上げたヴァンサンその人が、体調の不良と後継者の不在から、ドメーヌを手放してしまったのです。同時に自社畑の多くを売却し、ワイナリーに残されたのは最新の醸造設備と、ほんのわずかな自社畑と、醸造家エリックを初めとする優秀なスタッフたちだけでした。幸いにも、新たなオーナーはドメーヌを買い取っただけで、ドメーヌの運営体制はそのまま維持する形をとりました。それどころか、ヴァンサンの右腕として醸造家を務めていたエリック ジェルマンを、畑や醸造に関わる全ての部分でトップに就任させたのです。実は、ヴァンサン ジラルダンのワインが現在のような評価を獲得したのには、エリックの功績が大きくかかわっています。その評価は、ヴァンサンがいた頃よりもむしろ高いほどです。

 

ヴァンサン時代の濃厚なスタイルの終焉――エリックが「ピュアでエレガントな」スタイルを完成させる

エリックがヴァンサンと知り合ったのは、今から20年ほど前のことです。ヴァンサンからスカウトされる形で2002年にドメーヌに正式に加入します。その当時、ロバート パーカー等の評論家から絶賛されていたヴァンサンのワインは、「濃厚で、はちきれんばかりの果実味がある」スタイルでした。しかし、エリックはこのスタイルを大きく変更する必要があると感じていました。2004年頃からその方法を模索し始め、ついに2007年に新しいスタイルが完成しました。それが、今のドメーヌ ヴァンサン ジラルダンを象徴する「ピュアでエレガント」なスタイルでした。

 

エリックの実家は、有名なアンリ ジェルマン ペール エ フィス。ムルソーに生まれ、ムルソーを人一倍愛するエリックは、醸造学校を卒業した後、シャサーニュ モンラッシェや、パプ クレマンで経験を積み、後にブルゴーニュを拠点とする「バーガンディア醸造研究所」での勤務を開始します。そこで幸運にも、キリアコス キニゴプロス氏の教えを受けることになります。キリアコス氏は当時DRCやルフレーヴ、エティエンヌ ソゼ等の醸造コンサルタントを行っていました。その時のことを、エリックは『ヴィニュロン』誌の2015年秋号で次のように語っています。「私は本当に運が良かった。ダヴィド デュバンやジョルジュ ルーミエのようなワイン業界のビッグネームで、3年間の間、毎年40もの醸造経験を積むことが出来たんだ。そして今ではヴァンサン ジラルダンで働くことが出来ているんだから」。また、以前までと同様に輸出部長のマルコ カスケーラが販売を担うことで、エリックがさらにワイン造りに集中できる環境が整っています。こうして、「エリック率いる新生ヴァンサン ジラルダン」がスタートしました。

 

「これまでのようなワイン造りは出来ない」。最大の危機を乗り越え、自社畑を買い足しドメーヌを復活させる。

エリックは、これまでのように高品質なワインを安定して造るために、自分たちで管理する葡萄畑を増やすことを考えました。そこで新たに、契約農家から葡萄を買い取るだけでなく、契約農家の畑を自分たちで管理して葡萄を買い取る部門を立ち上げ、自社栽培の畑を得ることが出来ました。自社で管理する畑については、オーガニックまたはビオディナミ栽培を採用しています。2014年には、ムルソーのシャルム、レ ナルヴォー、スー ラ ヴェル、ポマールのレ ヴォーミュリアンと村名区画、ヴォルネイの村名区画、AOCブルゴーニュの白の畑の一部を、合計で4haほど手に入れることが出来ました。以降、少しずつ葡萄畑を買い足し、現在は約33haの自社所有畑・自社管理畑を持つに至りました。こうしてネゴシアンとしてだけではなく、ドメーヌとしても復活を遂げることが出来ました。また、今では誰もが当たり前のように行なっている「完成したワインではなく、葡萄を選んで購入し自分でワインにする」という、ネゴシアンワインメーカーの先駆者としても、これまでと同様にワイン造りを行っています。

 

『ワイン アドヴォケイト』においてトップ ドメーヌと同等の評価。

2017年のバタール モンラッシェが同年同銘柄の中で最高得点を獲得!

2012年に突如として訪れた危機を乗り越えた「新生ヴァンサン ジラルダン」は、その後瞬く間にドメーヌの地位を押し上げ、今やブルゴーニュを代表するトップ ドメーヌのひとつとして評価されるまでに至りました。それまでのような「コストパフォーマンスの高い生産者」としてではなく、「最高品質のワインを造るドメーヌ」として認められたということに大きな意味があります。『ワイン アドヴォケイト』は、ヴァンサン ジラルダンの2017年のバタール モンラッシェに、エティエンヌ ソゼと並ぶトップ タイスコアの96点を献上しています。ラモネとオリヴィエ ルフレーヴが95+点、フォンテーヌ ガニャールが95点、マルク コランが94+点を獲得し、ドメーヌ ドーヴネが95-97点、ピエール モレが94-96+点、ルフレーヴが94-96点の暫定評価を獲得している中での快挙です(2020年9月11日現在)。この評価は、ドメーヌ ヴァンサン ジラルダンの中でも歴代最高得点となっており、ヴァンサン時代には成しえなかったエリックの功績といえます。こうした近年のワイン造りは、グラン クリュ、プルミエ クリュなどの高級ワインだけでなく、マイナーなアペラシオンやAOCブルゴーニュなどのスタンダードクラスにもしっかりと反映されています。

 

『ベタンヌ+ドゥソーヴ2019』で4ッ星、『ル ギド デ メイユール ヴァン ド フランス2021』で2ッ星に昇格し、

さらに『ワイン&スピリッツ』でも2019年のトップワイナリー100に選出!

近年、エリック ジェルマンを筆頭に新たな道を歩み始めたヴァンサン ジラルダンは、これまでと変わらないばかりか、さらに素晴らしいワインを造っていることが、多くのワインガイドで次々に賞賛されることとなりました。フランスのワインガイド、『ベタンヌ+ドゥソーヴ』の2019年版で、ヴァンサン ジラルダンが4ッ星(最高は5ッ星)生産者に昇格したのです。この評価は、ドメーヌ デュジャックやドメーヌ ルフレーヴ、ドメーヌ コント ジョルジュ ド ヴォギュエ、ドメーヌ ロベール グロフィエ ペール エ フィス等の生産者と並ぶものでした。さらに同ガイドの2020年版でも4ッ星を維持し、「偉大なブルゴーニュ ワインを知らない人は、この造り手によってそれらの公正な概念を獲得することが出来る」と評価されています。

 

また、『ル ギド デ メイユール ヴァン ド フランス2021』で2ッ星(最高は3ッ星)に昇格し、ボノー デュ マルトレイやエティエンヌ ソゼの他、セシル トランブレイ、ピエール イヴ コラン モレ、マルク コランなどの著名な生産者と肩を並べています。同誌では2017VTの評価が掲載されており、バタール モンラッシェとビアンヴニュ バタール モンラッシェがともに98点、モンラッシェとムルソー プルミエ クリュ ペリエールが96点と高評価を獲得しています。

 

また、アメリカのワインガイド、『ワイン&スピリッツ』の「TOP 100 WINERIES OF 2019」に選出されるなど、その勢いは留まるところを知りません。『ラ ルヴュ デュ ヴァン ド フランス』2020年4月号では、「ヴォルネイ プルミエ クリュ サントノ」が、ドメーヌ デ コント ラフォン、ドメーヌ マトロとともに、また「シャサーニュ モンラッシェ プルミエ クリュ ブランショ ドゥシュ」がジャン クロード バシュレ エ フィス、モレ コフィネとともに紹介されています。『ワイン アドヴォケイト』誌は2020年2月の記事で、2019年に引き続き、「現在、非常に確かで高品質なブルゴーニュの白ワインを造るようになっており、この造り手を”商業的”だからと避けることは完全に間違っている」と指摘しています。

 

「私達はいわばテロワールの番人。畑に出て作業することは田舎では常識さ!」

……エリック ジェルマンのコメント(『ヴィニュロン』2015年秋号より)

エリックは、葡萄畑での仕事を何よりも重要だと考えています。自社で管理する葡萄畑はもちろん、契約農家からの買い葡萄についても殺虫剤や除草剤を使用していません。エリックは『ヴィニュロン』誌で、「以前、畑の管理が十分でないと私が判断した農家との商談を断ったことがあるよ。彼らが持っていた畑がどれだけ素晴らしいアペラシオンだったかということは関係なしにね。契約農家であっても、葡萄を買う時は、オーガニック、もしくはそれに近い形で栽培されているという事を大切にしているんだ」と語っています。ヴァンサン ジラルダンのすべてのワインは、この哲学のもとで造られています。エリックは醸造だけではなく、自ら畑を周り、「良いワインは畑から」の哲学を貫いています。こうして育てられた葡萄は、その土地のテロワールを浮かび上がらせる「ピュアでエレガント」なワインとして多くの方に親しまれています。また、ヒュー ジョンソン「ポケット ワイン ブック2019」で赤★★から★★★生産者へと昇格し、『ムルソーを本拠地とする白ワインのスペシャリスト』と掲載されています。

ヴァンサン ジラルダン

<ヴァンサン ジラルダン>1993年初訪問時

1961年生まれ。12歳の頃から畑仕事を手伝い始めます。1982年、21歳の頃に父から2haの畑を相続し、ドメーヌを設立しました。若く、資金も無かったため畑を購入することは難しく、ネゴシアンビジネスに着手します。当時は出来上がったワインの状態で買い付けを行うことが一般的でしたが、ヴァンサンは誰かが造ったワインを買おうとはしませんでした。知り合いの農家を一軒ずつ訪ね、葡萄の状態で買い付けさせてくれないか、と持ち掛けたのです。こうして、自社畑を持たずに最高の葡萄を選び、自らの手で醸造するという新たなネゴシアン、「ネゴシアン ワインメーカー(ネゴシアン ヴィティフィカトゥール)」の先駆者となりました。昨今のブルゴーニュでは、自社畑を持たずにワイン造りを行なう小規模なネゴシアン(マイクロ ネゴシアン)が台頭していますが、ヴァンサン ジラルダンはその走りということが出来ます。こうして若くして成功を収めたヴァンサンは、自社畑も拡張し、ドメーヌとしての地位も築き上げました。彼の情熱は、2012年に引退するまでの30年間、色褪せることはありませんでした。

 

彼の活躍はほとんどすべての名のあるワイン雑誌にて紹介された通りですが、特にロバート パーカー Jr.の絶賛ぶりは有名です。「私はこれほど手頃な価格で、幅広く傑出したワインを届けることの出来るブルゴーニュの生産者やネゴシアンをほかに知らない。ジラルダンはまた、ジュヴレ=シャンベルタンのベルナール・デュガと同じように、自分のワインの品質をさらによくするために熱心に働いている。しかも、ジラルダンと妻のヴェロニクは非常に若いので、私たちは、このドメーヌとネゴシアンがつくり出す崇高なワインを、あと何年にもわたって楽しみにすることができる。もし読者がブルゴーニュの赤を愛するのであれば、のんびりと歩いている場合ではない。走ってワイン商のもとに駆けつけ、この目のくらむばかりのワインを購入しよう」

 

当時は濃厚なスタイルの赤ワインで知られたヴァンサン ジラルダンでしたが、エリックが加入したことにより、現在はピュアでエレガントなスタイルへと変化しています。

ヴァンサン ジラルダン

<エリック ジェルマン>2017年来日時

1973年生まれ。実家はアンリ ジェルマン ペール エ フィスで、生まれも育ちもムルソーという生粋のムルソー人です。醸造学校を卒業した後、シャサーニュ モンラッシェや、ボルドーのパプ クレマンで経験を積み、後にブルゴーニュを拠点とする「バーガンディア醸造研究所」での勤務を開始。当時DRCやルフレーヴ、エティエンヌ ソゼ等の醸造コンサルタントを務めたキリアコス キニゴプロス氏の元で働き、エリック自身もジョルジュ ル―ミエやダヴィド デュバン等のトップ ドメーヌで醸造経験を積みました。また、ワインの分析の仕事も行なっていました。ヴァンサン ジラルダンにも醸造コンサルタントとして参加していたエリックは、ヴァンサンによってスカウトされ、2002年からヴァンサン ジラルダンに入社。醸造面だけではなく、契約農家とも関わる様になりました。豊富な経験を持つエリックが加入したため、ヴァンサンは分析用の機械を購入し、自社で分析を開始しました。この結果、より明確で焦点の定まったワインを造ることができるようになりました。

 

新しいオーナーとなったジャン ピエール ニエからもエリックは全面的に信頼されており、買収の際にはエリックを畑や醸造に関わる全てのテクニカルな部分でヴァンサン ジラルダンのトップとして就任させたほどです。自身も畑に出て働き、醸造責任者としてドメーヌを牽引するエリックは、ヴァンサンの情熱をしっかりと受け継いでいます。近年のヴァンサン ジラルダンの評価は、ブルゴーニュの著名なトップ ドメーヌと肩を並べるほどになっていますが、エリックは決して驕らず、いつも謙虚です。

 

2017年に来日した際、お客様から「2011年のような難しいヴィンテージに気を遣うことは何ですか?」と質問をいただいた際には、「醸造で気を遣うことは何もありません。特別なことはなく、ある意味では醸造は楽です。良いワインの 90% は畑で良い葡萄をつくることによって決まります。 良いタイミングで正しい判断をすることが重要です」と答えていました。写真は、奥様のオレリーさんとの一コマ。日本料理とブルゴーニュワインを合わせた会食も行いましたが、「フランス料理はフレッシュバターやクリームの味わいが全面に出る料理が多いのに対し、日本料理は素材を非常に大事にし、尊重している印象がある。それはまさに、素材である葡萄を一番に重視する私たちのワイン造りそのものです」と絶賛されていました。

ヴァンサン ジラルダン

<マルコ カスケーラ(写真右)>2015年訪問時

1969年生まれ。リヨンにてイタリア人の両親の間に生まれました。両親は二人とも首都ローマがあるラツィオ州の出身です。ローマから80km南に位置するエリアで、父方の祖父はトレッビアーノで白ワインを造っていました。リヨンとトリノの大学で経済学と語学を学び、卒業後、ドイツの金融グループ企業で働き始めました。「この仕事が自分に合わないと気付きました。私は祖父の影響で、自分が若い頃からずっと興味を持っていたワイン業界に進むことに決めました」。

 

1998年、パリの有名なワインとスピリッツの小売チェーン、"ニコラ社"のドイツで最初の店舗となる店の経営を始めました。2年間店の経営をした後、ブルゴーニュで働くため、フランスへ戻る決心をしました。小さい頃から、この土地のストーリーや地域の複雑さに感銘を受けていたからです。2000年から、ネゴシアングループのコタン フレールで働き、2004年からニュイ サン ジョルジュの著名なメゾン ニコラ ポテルに所属し、アジア、オセアニアおよび東北ヨーロッパを担当しました。そして2010年の初め、ムルソーのヴァンサン ジラルダンに入社し、以後は海外への輸出とフランス国内の販売すべてを担当しています。また、ヴァンサン引退後の新体制となってからは、営業・輸出部長に任命され、エリックとともにヴァンサン ジラルダンの経営者として活躍しています。

 

 

ヴァンサン ジラルダン

ヴァンサン ジラルダンがついに、フランスのバイヤーズガイド「ベタンヌ & ドゥソーヴ 2019」で、4ッ星生産者へと昇格しました。また、最新の2020年版でも、4ッ星を維持しています。同じ評価を獲得している生産者を見ると、ドメーヌ デュジャックやドメーヌ ルフレーヴ、ドメーヌ コント ジョルジュ ド ヴォギュエ、ドメーヌ ロベール グロフィエ ペール エ フィス等、そうそうたる顔ぶれです。ムルソーに拠点を移し、コート ド ボーヌのワインに注力しているため、白ワインの評価が目立ちますが、同様に赤ワインも高く評価されています。