ドメーヌ フォン サラド
人生、山あり谷あり。父から離れ、いろいろな人の下で働いてきた
「エドモン ビュルルの長男がヴァケラスでワイン造り」 ベルナール ビュルルは、ジゴンダスの故エドモン ビュルルの長男で、現在は義父のドメーヌを相続してワイン造りをしています。ドメーヌ フォン サラドは、ヴァケラスの北のポンシュの高台に位置します。義父の時代は全て農協へ販売していましたが、ベルナールが加わってから自社ワインの生産へ移行しました。
「プライドを持ち、品質にこだわる」 醸造設備等はモダンになっても、伝統的な造り方を忠実に守っています。品質にはこだわりを持っていて、納得出来ない品質の葡萄は売ってしまいますし、A.C.として納得できないものはV.d.P.に回しています。「甘みがあって、リッチなスタイルをしかもお値打ちな価格で」がポリシーです。ヴァケラスやジゴンダス、ヴァントゥーで10本の指に入ると自負しています。ヴァケラスのレストランでは、サン デ カイユー等と変わらない価格でオンリストされていました。また、ベルナールはアペラシオン ヴァケラスの審査員もしています。ベルナールは、ワイン造りのアドバイスをするために次男と三男(E.A.R.L. ビュルル)を訪れます。
「プライドを持ち、品質にこだわる」 醸造設備等はモダンになっても、伝統的な造り方を忠実に守っています。品質にはこだわりを持っていて、納得出来ない品質の葡萄は売ってしまいますし、A.C.として納得できないものはV.d.P.に回しています。「甘みがあって、リッチなスタイルをしかもお値打ちな価格で」がポリシーです。ヴァケラスやジゴンダス、ヴァントゥーで10本の指に入ると自負しています。ヴァケラスのレストランでは、サン デ カイユー等と変わらない価格でオンリストされていました。また、ベルナールはアペラシオン ヴァケラスの審査員もしています。ベルナールは、ワイン造りのアドバイスをするために次男と三男(E.A.R.L. ビュルル)を訪れます。
歴史 | 1936年 ルネ ドヴィネが設立。 1996年 娘婿にあたるベルナール ビュルルが手伝いを始める。 2002年 ベルナールが相続。瓶詰設備などを導入。 2008年 セラーが完成 2015年 新セラーが完成。今まで800hlしか醸造できず、残りはほかで醸造していたが、1700hlを醸造できるようになった。 |
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オーナー | ベルナール ビュルル : 1963年生。故エドモン ビュルルの長男。 クレール : ベルナールの娘。1993年生まれ。モンペリエ醸造大学で勉強。オーストラリアのワイナリーで研修。非常に聡明で快活、将来に期待が持てます。 |
葡萄園 | ヴァケラス18ha / コート デュ ヴァントゥー8ha / コート デュ ローヌ2ha / プラン ド デュー1ha / ジゴンダス1.25ha / V.d.P.5ha |
栽培 | 除草剤は使わない。ボルドー液や硫黄を使用。 草やカスなどを混ぜたコンポストを使用。 |
ワイン造りの物語 | 生産者訪問ブログ(2019) 生産者訪問ブログ(2017前編) 生産者訪問ブログ(2017後編) ドメーヌ フォン サラドのワイン一覧 |
取り扱いワイン |
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<エドモン ビュルル>2001年訪問時
長男のベルナール(フォン サラド)、次男のフローラン、三男のダミアン(2人はビュルル)のビュルル三兄弟の父であるエドモン ビュルルは2004年に亡くなりました。私どもと関わりのある生産者で、エドモン ビュルルほど苦難の人生を歩んでいた人を見たことがありません。一度は屋根から落ちて脊椎をひどく損傷したり、妻と息子(ベルナール)が家を出てしまったり、1993年には網膜剥離の手術を受けることになったり。また、91年は霜害、92年は洪水による被害のため、2年間ワインを造ることができませんでした。しかし、私どもがワイナリーを訪問すると、いつも誰よりも陽気に迎えてくれます。ミシェル ファロ(ドメーヌ デュ ケロン)やイヴ グラ(ドメーヌ サンタ デュック)と並んでジゴンダスのトップ生産者として、国内だけでなく世界中にその名が知られています。私どものローヌワインに対する情熱は、エドモン ビュルルに出会って始まりました。